父、島田隆司の素問講義を復活しました。

東洋医学

私の父は、鍼灸師でした。
ですが、私が生まれた頃はまだ銀行員をしていました。
そんな父のことを少し書いてみます。

父は三十の歳に、過労で慢性肝炎を患い、約一年間病院に入院しました。
僕は三歳だったはずなのですが、よく母に手を引かれて見舞いに行ったのを不思議と今でも覚えています。

退院した父は自宅療養をしていたある日、近くの図書館で『難病治療のキメ手』という本に出会います。
沼津で断食道場を指導していた中川雅嗣という方の本です。

その後すぐに道場に入って、約1ヶ月の断食療養をしたそうです。
毎日、二升の水を飲み、温冷浴(38℃の温浴3分と15℃の冷浴1分を交互に3回ずつ)をし、灸をしていたとのこと。

断食中のことをいまは休刊となっている『医道の日本』に書いた文章があるので、ここで少しだけ紹介します。

断食中に、指導される中川雅嗣先生が灸点を降ろしてくれ、毎日灸を炷えてくれる。
生まれて初めての灸体験である。
ところが断食体験によって従来の常識を根底から覆され、しかも断食によって心身ともに清浄化してきたためか、すっかり素直になった心身にとって、灸は実に清々しい熱さで、炷えられた穴から染みとおって行く感じが素晴らしく心地よい。
「こんな素晴らしい医療があったのか」と感動する毎日であった。
二人の幼児を抱えて頑張っている妻に初めて感謝の気持ちが沸いてくる。

断食を終える頃には、「これからはこの優れた東洋の医療を広めることを一生の仕事にしよう」と心に決めていたようです。
そしてついに父は病気を克服します。

銀行の仕事に復帰し、鍼灸学校の夜間クラスに入ると、経絡治療研究会が主催していた夏季大学で丸山昌朗先生の『素問』講義を聞いて魅せられ、鍼灸学校の2年生のときに押しかけ弟子になります。

ちょうど前回の東京オリンピックが開催されていた1964年頃のことです。
当時5歳だった私は、甲州街道をひた走るアベベ選手を見たことだけは覚えています。

心の底から尊敬できる師を得て、それ以後の父はブレずに鍼灸、古典、刺絡などについて勉強と研鑽を重ねていったようです。

丸山先生はいつも「最もうまいものを食う。最高の音楽を聴く。最も優れた書に親しむ。これが鍼の上達の秘訣だ」と言われていたようで、この頃からそういうことへ親しむことを私も惜しみなく味あわせてもらった気がします。

とにかく、父の鍼灸への想いは熱く、学と術をともに深めていくことに熱心でした。
その結果として、日本伝統鍼灸学会の会長に就任しました。
これから鍼灸界をどう変えていこうか、夢は膨らむ一方だったと側で見ていても感じました。

ですが、弟の結婚式を翌日に控えた日に黄疸を発症、その後胆管がんが見つかりました。
すでに手術は不可能で、余命は半年と言われました。

丸山先生の素問講義に感激してからどれだけ経ったのでしょう。
父は1991年から毎月1回、素問の講義を始めました。
私もほとんどに参加しています。

父はすべて講義し終え、2000年の8月に旅立ちました。
まだ日本伝統鍼灸学会の会長在任中のことでした。

父が亡くなった後に、さまざまな協力者を得て、父の素問講義のテープ起こしをし、オンラインで公開していました。
そのページが閉鎖となったことを惜しむ声がチラホラと聞こえてきたので、今回、講義テープと当時の資料を加えて復活させることにしました。

サンプルで序文が公開されていますので、興味のある方は聴いてみてください。
宮川浩也先生がステキな推薦文を書いてくれました。

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